アメリカに住むということ

よそ様の国に住むというのは結構大変です。英語が出来ればいいというものではありません。

忘れられない失敗。

大事なこととか楽しいことは、結構さっさと忘れてしまうのに、嫌なことはいつまでも覚えていて、ふとした時に思い出しては、

あの一瞬

に対して

だ~~~~っ!!

と、叫んでしまいたくなる私です。



誰かが、いつか、

「あの、天才+超努力家のイXローでさえ、5割とか打てないんだよ。つまり、プロ+ずば抜けた才能の持ち主であっても打率は大抵3割とか、調子がよくで4割とか。一般人の私たちの人生の打率なんて、2割あったら良い方なんじゃない?」

みたいなことを言っていましたが、私の人生打率なんて、恐らく1割台、とか?

もう失敗の連続!!



様々な失敗がある中で、思い出す度、あの一瞬に戻って是非やり直したいと考えるのは、私が高校1年生の時のエピソード。

音楽の先生から、3年生の卒業式に校歌のピアノ伴奏をやるように言われました。

まだ当時は、

「音大に行くんだ。」

なんて夢のようなことを本気で思っていたため、現役バリバリでピアノを弾いておりました。

当時の音楽の先生は、ピアニストもしているほどのプロの音楽家で、校歌の伴奏スコアは彼女が編曲したもの。

卒業式以前にも学校の集会があるたびに何度か弾いていたものの、卒業式となると、ちょっと状況が違います。

いつもより丁寧に練習を重ね、当日に臨みました。

指揮者である音楽の先生の後について壇上に上がります。

椅子に座って、深呼吸をし、先生の方を向いて準備が整ったことを目で知らせます。

先生が頷き、タクトを振り上げ、私の前奏部分の演奏が始まります。

なかなか、スムーズです。

前奏部分が終わると、先生は全校生徒の方に体の向きを移動させ、みんなに向かって指揮を振ります。

前奏部分がスムーズに行った私は、引き続き、スムーズに演奏を続けます。

まだまだ、スムーズです。

いつも通り、いつも通り。

指もちゃんと覚えているから、このままの調子で先へ、先へと。。。。。。。。。

と思った瞬間、

左手が一音外してしまって、それ以降、何小節分か左の演奏が完全に飛んでしまいました。

何とか右手は継続していたものの、頭が真っ白になってしまって、どう建て直したらいいのか、途方に暮れつつ、

「何としても音だけは出し続けないと!」

ということだけを考えつつ、少しでも早くに復活するするようタイミングを見計らっていました。

もちろん、私が超ミスタッチをしてパニクッテいることをわかっている先生は、

「あなた、こんな大事な時に何やっているの!!!」

という光線を目で送ってきています。

なんとか、建て直して、最後まで弾くことは出来たものの、もう、悲しいやら、情けないやら、恥ずかしいやら、申し訳ないやら…、世の中にある全てのネガティブな描写語句を使ってもまだ足りないほどの自己嫌悪に陥り、いま思えば、あれが音楽をやめようと思ったきっかけの1つになったように感じます。

校歌斉唱が終わり、壇上から降りると、当然のように音楽の先生から、

「これっ!」

って、怒られました。

あとから、クラスの連中に聞くと、

「え~、そうだったっけ?」

とか、

「うーん、わかんない。」

とか、

「なんかちょっと変だなと思った瞬間があったような…。」

とかがありましたが、ちょっと音楽を知った連中からは、

「おい、ハズしたな。」

とか、

「うん、バレバレだったよ。」

と指摘され、益々、深い自己嫌悪に陥り、今もそれを引きずっている次第です。

結局、いろいろあって、音楽の道に進むことなく今に至っているわけですが、今思えば、あの途方もない失敗にも意味があったんだなと。

あのピアノ伴奏の経験は、自分の人生全体のメタファー的な存在なのかもしれません。

間違って、間違って、間違って、間違って、間違って、はじめて、そっちじゃなくてこっち、とか、こっちじゃなくてそっち、とかに行かなきゃ、って思うんでしょうか。

こんなに長く生きているから、ちょっとはましになってくれればいいのに。

いまだに、失敗の連続な毎日!









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